一人で頭を洗えるようになった!
娘の5歳の誕生日は記念すべき1日となった。それまでは、僕があぐらを組んで、その足の上に娘を寝転がせて頭を洗っていた。成長とともに身体がだんだん大きくなってきて、あぐらから溢れるようになっていた。
「一人で洗おうよ」と何度言っても娘の回答は「嫌!」だった。
水が怖いわけではないので、顔に水を掛けても怒ることがあっても泣くことはありませんでした。誕生日の前後で変わったのは「やる気」だけだと思います。
それから数カ月経った今、「たまには頭を洗ってあげるよ。ゴロンしなよ」と誘っても「自分で洗うから大丈夫」。成長して嬉しい反面、もう頭を洗わせてくれない。以前はゆっくりお風呂に入りたいと思っていたのに、いざ必要とされなくなると寂しいです。
ヤマハ音楽教室で出来事
ヤマハ音楽教室に通って一年以上が経ちました。クラスも年少クラス(おんがくなかよしコース)から年中クラス(幼児科コース)に変わった。授業では歌よりピアノの時間が断然多くなってきてます。
ママの仕事が忙しくなって週末も仕事続き。僕と娘で授業に参加する機会が増えています。回を追うごとに授業のレベルが上がってきて、自宅で習ったことを復習してないとあっという間に置いてけぼり。
授業中、手や指が思い通りに動かないと娘の表情はみるみるうちに曇り出します。悲しそうな目で僕を見つめて今にも泣き出しそうです。その姿見ているとこっちが切なくなります。
他の子との比較はいけない…
保育園に通い出す前はは「わが家という限られた空間」だけでの出来事でした。
保育園、公園、ヤマハ音楽教室。周りを見れば同世代の子が並んでいます。
「並んでいるけど決して比較はいけない!」
頭では理解しているのだけど、「あの子はできてる」「○○だって絶対にできる!」と比較してしまっている自分がいました。
もしかしたら、娘はそういった僕の心の中を察しているのかもしれません。
他の子ができているから、娘もできる…。我ながら、どうしようもない、救いようのない思考です。
僕が娘の立場なら勘弁して欲しいです。
何もしてないのに「できて当たり前」なんてことはない!
この記事はパソコンで書いてます。当たり前のようにブラインドタッチです。
社会人になりたての頃は、会社でブラインドタッチができず、キーボードを見ながら必死に叩いていました。作業効率を改善したくて、ブラインドタッチの練習用アプリで毎日特訓でした。最初は指が思うように動かせず、イライラしていた記憶があります。何度も何度も繰り返し練習した記憶があります。練習の甲斐があって自然とブラインドタッチができるようになりました。
その行動(ブラインドタッチ)が当たり前になると、意図的に思い出さないと過去の苦労なんて忘れてしまってました。最初からできて当たり前なんてことは決してないです。そういう状態になるには、それ相応の苦労があったはずです。
初めて聞いたメロディー、ピアノをはじめて間もない、家での練習も足りていない…。この状態で最初から涼しい顔でできてしまうほうが不思議です。そんな状態で「うちの子なら出来るはず!」なって思うほうがどうかしています。
ヤマハ音楽教室は娘の「やる気」で通っている。
ヤマハ音楽教室に入会したきっかけはテレビCMです。
記憶に残っている方は多いと思うのですが、「ドレミファ、ソ、ラ、ファ、ミ、レ、ドっ」と子ども達が楽しそうに歌っているCMです。そのCMを見ていた娘から通いたいと言い出したのがきっかけでした。
親としては習い事は小学生くらいからかなと思っていたので、入会に対しては積極的ではありませんでした。だから、やる気があるなら入会はするけどいつ止めてもいいよ。というスタンスでした。
授業でピアノが弾けなくて悲しい顔、涙を堪えることが多くなってきてはいますが、それでも楽しいと言って通っています。家を出発するときはルンルンです。音楽が本当に好きなんだと感じさせられます。僕の5歳の頃では考えられないです。
遊ぶこと以外で「やる気」を持って取り組んでいることが素晴らしいです。
せっかくの「やる気」を大事に育ててあげたい。
やる気を育てるためのサポートが必要
娘のやる気に触れて、それまでの僕のヤマハ音楽教室に対する姿勢は改めなければいけないと反省しました。
やはり僕のサポートが不足していたと思う。
練習の時間を上手に作って上げられていなかった。娘にやる気があるとはいえ、まだ5歳児です。やる気だけではピアノの上達に限界があります。娘を誘って一緒にピアノの前に座ってあげるだけでもピアノの成長に大きな手助けになるはずです。
心に引っかかっている幼少の記憶
僕は長男です。長男の宿命でしょうか。過剰な期待の中で育てられてきました。習い事も自分では選べず、親に決められてきました。
子どもの頃は、サッカー選手に憧れてサッカー教室に通いたかくて相談するものの、結果は習字、そろばん、スイミング…
これでの人生を振り返ると、習字以外(字が汚いまま)は、どれも役に立ったと胸を張れます。しかし、好きなことをできなかった記憶は、今もなお、心に引っかかるものがあるのです。
娘は娘であって僕ではない。
「娘の人生は僕の人生ではない。」
過去の記憶から強く思うところがあります。僕の期待を押し付けてはいけない。娘は人形ではない。娘には意志がある。僕に出来ること、僕がやらなければいけないこと、それはサポートだ。娘の意志、やる気を全力で応援してあげたい。
サポートするといっても過剰がサポートは不要だということは心に留めておきたいと思っている。
目の前に現れる障害を乗り越えるのは娘自身。
娘を抱えて僕がジャンプしても意味が無い。あくまでもサポートするだけだ。
娘の人生に介入するのは、人の道を踏み外そうとしたときだけだ。僕に出来ること、それはじっと応援すること。
ただそれだけだ。
娘の最高のサポーターでありたい。
5歳にもなると、自分の意思、考えがしっかりしてきました。
以前はオウム返しのような会話だったが、自分の考えや意見を娘なりに話してくる。子どもなので無茶苦茶な理論のときもあるけれど、「そんなとこを考えてたんだ!」「それが嫌だったの?」という気づきもある。そのたびに娘の成長を感じる。
自分で考えて行動する。
保育園、小学校、中学校、高校…、といろいろな経験をして考えて成長していく。だんだんと僕がサポートする機会は減ると思う。それは寂しいのではなく、親として嬉しいことなんだと思う。
娘の成長を自分のこと以上に喜びたい。僕たち夫婦は、娘の最高のサポーターでありたい。
そうなれるように、僕たちも成長しなければならない。
おしまい。
この記事は三十路男さんの記事に影響を受けて書きました。