3歳になるまでは、どこに連れて行ってもニコニコと愛嬌を振りまいていました。周囲からは人見知りしない子だね!と感心されることが多かったです。親としては警戒心のなさに心配するくらいでした。そんな娘が…
3歳を過ぎた頃から、突然人見知りが始まった
ある日を境に、おじさんを避けるような素振りを見せ始めました。最初のうちは、近くに爺がいないので、おじさんに対する免疫が薄いせいかなと軽く考えていました。
しかし、次第に症状は悪化して、おばさんまで避けるようになったのでした。小さな頃から可愛がってもらっている、お向かいのおばさんだけは、辛うじてセーフでした。
いつしか斜め下を向いて歩くようになった
「人に会ったら、ちゃんと挨拶しないと駄目だよ!」
散歩に出掛ける前、戻ってきた後に言葉を掛けるが、そのたびに「うん」と答える。しかし挨拶できない日々の繰り返しです。
とうとう、おじさんが対面から歩いてきただけで、顔を斜め下にそらして歩くようになったのでした。
心配が最高潮に膨らみ、思考が負の連鎖
斜め下を向いて歩き出した頃は、娘の行動に心配が最高潮に膨らんでいました。
追い打ちを掛けるように、お向かいのおばさんと会話するときにまで目をそらすようになったのでした。
そういえば、人の目を見て話せていないかも…
といったように、些細なことから心配が大きく膨らむ、思考の負の連鎖に陥るようになりました。
夫婦で毎晩のように悩んでいました。
周りに相談すると、口を揃えて気にする必要はない
その頃、保育園で保護者相談会が開催されることになっていました。悩んでいても解決しない。思い切って相談会で相談することに。
兄弟のいるお母さん方からは、口を揃えたように
「気にする必要ないよぉ」
「うちも似たようなことあったよ」
「〇〇ちゃんなら大丈夫!」
といった言葉を掛けられました。子育ての先輩方の言葉には力があり、正直、気持ちが楽になりました。
その日を境に、事細かに挨拶について、口うるさく注意するのはやめました。
お出かけする前に「人に会ったら挨拶できると良いね」と優しく話かける程度に。あまり言い過ぎてもプレッシャーにしかならないですもんね。私なら散歩に出掛けるのも嫌になるかも。
突然、挨拶できるようになった
4歳になる1か月くらい前に、突然、挨拶ができる子になりました。
「〇〇ね、挨拶できるよ!(〇〇は名前)」、突然宣言したかと思ったら、本当に挨拶ができるようになった!!。
何がきっかけだったんだろう?
今でも突然の宣言の理由は分かりません。しかし、挨拶できるようになる少し前に、環境に変化がありました。
しまじろうを止めて、ヤマハ音楽教室に通い始めました。
ヤマハ音楽教室での、新しい先生、新しい仲間の存在に刺激されたのかもしれません。
刺激的すぎて、最初に3回くらいは親に巻き付きまくりで、歌どころではありませんでしたが…(^_^;)
環境の変化が、精神面の成長を促したのかもしれませんね。
ゆっくり成長を見守ることも親の役目
子どもを注意深く観察すると、日頃の会話、着替えの素早さ、思いやりの心など、驚くほど成長していることに気付かされます。
間違いなく日々成長しているのです。
成長する順番や速度は子どもによってバラバラです。
だから、ある部分をピンポイントで捉えて、成長していない、心配だ…なんて、子どもにとっては酷です。親のエゴです。
子どもの成長をゆっくり見守ってあげることも、親の役目、子育てなんだと気付かされました。
諭吉のよもやま話
子どもに期待しすぎる傾向が強いのかもしれません。子どもの立場になってみると、いつもいつも100点満点を求められたら堪ったものではないですね。
以前、子どもの運動能力の差について記事に取り上げたことがあります。
この記事を読み直して思ったのは、運動だけに限らず、親がリカバリーできる範囲であれば、失敗すると分かっていても試させる、じっくり見守ってあげることも大事なのかなと。
「じっくり見守る」というのは、心の強さが必要です。
諭吉も成長する必要があります。
心を鍛えたいです。(今年の七夕の願い!)